相川亮二は23年間の現役生活で2度FA権を行使し、横浜ベイスターズ、東京ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツの3球団でプレーした。
1度目はメジャー挑戦を見据えた海外FA権の行使だったが、最終的にはヤクルトへ移籍。2度目は国内FA権を行使し、2015年から巨人に加入した。
同じFA移籍でも、横浜時代とヤクルト時代では置かれていた立場が異なり、その後に担った役割も変化している。
横浜で正捕手に定着し海外FA権を行使
相川は1994年のドラフト5位で横浜ベイスターズに入団し、1999年に一軍デビューを果たした。
2004年には正捕手に定着。2007年には打率.302を記録するなど、捕手としてだけでなく打撃面でも結果を残した。
2008年は故障の影響もあり101試合の出場にとどまり、打率.255、7本塁打を記録。同年オフに海外FA権を行使し、メジャー挑戦を目指した。
しかしメジャー球団からの獲得オファーはなく、最終的に東京ヤクルトスワローズへの移籍を決めた。
ヤクルト移籍後も正捕手として活躍
ヤクルト移籍後も、相川は正捕手としてチームを支えた。
2010年には打率.293、11本塁打、65打点を記録。横浜時代に続き、打撃でも存在感を示した。
海外移籍こそ実現しなかったものの、FA移籍後も一軍の主力捕手として結果を残したことになる。
その後は中村悠平の台頭もあり、相川の出場機会は徐々に減少していった。
2014年オフに2度目のFA権を行使
相川は2014年オフ、今度は国内FA権を行使した。
そして2015年から読売ジャイアンツに加入。横浜からヤクルトへ移った1度目とは異なり、2度目のFAでは国内球団間での移籍となった。
ヤクルトでは正捕手を務めた時期が長かった相川だが、巨人では主に控え捕手としてバックアップを担った。
現役後半に入る中で、自らの経験を生かしてチームを支える役割へと変化していった。
2度のFAで変わった相川亮二の立場
相川の2度のFAを振り返ると、それぞれ目的や状況が異なっていたことが分かる。
1度目は、横浜で正捕手として実績を積んだ後に海外へ挑戦するためのFA権行使だった。
メジャー移籍は実現しなかったものの、ヤクルトでは再び正捕手としてプレーし、2010年には打率.293、11本塁打、65打点を残した。
一方、2度目は中村悠平の台頭によって出場機会が変化した時期のFA権行使だった。巨人では控え捕手として、これまでとは異なる立場でチームに加わった。
2017年限りで23年間の現役生活に幕
相川は巨人でプレーした後、2017年限りで現役を引退した。
1994年のドラフトから始まったプロ野球人生は23年間に及び、その間に3球団でプレーした。
正捕手としてレギュラーを務めた時期、メジャー挑戦を目指した時期、出場機会の変化を受けて新天地を選んだ時期と、長い現役生活の中で立場を変えながらプレーを続けた。
まとめ
相川亮二は現役時代に2度FA権を行使した。
2008年オフには海外FA権を行使し、メジャー移籍を目指したものの、最終的にヤクルトへ移籍。2014年オフには国内FA権を行使し、2015年から巨人でプレーした。
横浜とヤクルトでは正捕手として実績を残し、巨人では控え捕手としてチームを支えた。
2度のFA移籍を通じて、その時々の立場や役割を変えながら23年間の現役生活を歩んだ選手だった。


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